冬芽、この中には次の春に出てくる葉やつぼみが折り畳まれた状態で入っています。
落葉広葉樹は夏から秋にかけてこうした冬芽を作り、春をじっと待ちます。
冬芽の形は木によって様々で、フサフサの毛で覆われているものや、
芽鱗といって冬芽を保護する鱗状のものを何枚も重ねるもの、
不凍液を用意するもの、と個性豊かです。
そんな冬芽を観察して特徴を掴み、その木がなんの木なのか、自力で導き出せた
時の喜びはひとしおで、そうすると今度は冬の森が多種多様に見えてきます。
さらに、冬芽は枝ごと水に活けて、温かい室内に置いておくと自然と開くことが
多く、こちらの冬芽も同様。
開いた葉を見てみるとシウリザクラでした。
開くまで二週間ちょっとで、冬芽の正体にたどり着けました。
外はまだ厳冬期真っ只中のモノトーンの世界。
思いがけず、室内に色彩が生まれました。
そうそう、野外で観察するときにはこんなハンドブックもありますよ。
大まかにどこをどう見たら良いのか、写真をもとに解説されているので、
ぱっと調べたい時手元にあると便利ですよ。
森を歩いていると、時々柔らかい声で「フィー」とか「フィッ」という
口笛を吹いているような声が聞こえてきたりします。
昔は、人が口笛を吹くことを「うそぶく」と表現していたことがあり、
この鳥の声がそれに似ているということで名前が「ウソ」。
そんな由来など知らなかった頃から、口笛返しをして楽しんでいた私。
単純な性格ですね。
時折強い風が吹くある日の森。
歩く準備が整い、さて森に入ろうとしたとき、
風にあおられた小さな雪の塊が横からあれよあれよと
転がってきて、「おまえさん、こんな日にどちらへ?」
と尋ねるかのように今度は私の前でピタリと止まりました。
たまに、この雪玉が作り出した点々模様を見た方から
「何の動物の足跡ですか?」と質問される事があります。
そうですね、今度から「冬の妖精ですよ」なんて答えましょうか。
毎年、夜な夜な行っていたゲレンデ、今年はちょっと足が遠のき気味になって
しまったので、のびのびと練習すべく人込みを避けてのスキー場へ。
それは丁度良かったのですが、他の滑走者を気にせず滑れる分、通り過ぎる木に
つい目が行ってしまいます。
広場にポツンとある木、ゲレンデ下にある林、滑りながら眺め過ぎるのです。
遊びに来たのやら、自然観察しにきたのやら。やれやれ。
そういえばこちらナイターでしたが、日暮れの時間がずいぶん伸びてきましたね。
ニセコらしい乾いた雪が降る中、同じ職場の方々でご参加頂いたこのツアー。
みなさんで輪になって木を取り囲み、ゲームでもしているかのような光景ですが、
そうではありませんよ~。
一人が何かに気づいた時、自然とそれをみんさんで共有する流れになりました。
各々が楽しむのも良いけれど、みんなで見て楽しんでいると、また別の目線で
物事が見えてきたりしますね。
中々良いチームプレーでした。
連日、ニセコらしい乾いた雪がしんしんと降り続いています。
ところで、ニセコの夏の森、道から外れるとどんな雰囲気かイメージできますか?
実は、人の背丈より高く伸びた草やササが深く広がっています。
こうした所へは両腕を使ってかき分けながら進むのですが、その様子がヤブを
漕いでいるように見えるので「ヤブ漕ぎ」などと表現されます。
山菜取りや仕事でもない限り、ヤブ漕ぎなんてする人はいないでしょうが、
私を含むこの人たちは調査の関係で入って行ってます。スゴイでしょ。
写真中央、3人並んでいる列より少し離れた所に実はもう一人いるのですが、
もはや緑のカーテンに隠され見えません。
そして、冬のニセコの森は、人の背丈より高く雪が降り積もっています。
上の写真と同じ場所で撮影しています。
この違いたるや!あれだけあった草は枯れてなくなり、ササもほぼ雪の下に
埋もれています。
こうなれば、夏の間近づけなかった所へも行きやすくなります。
近づけなかったという事は、見られなかったものがそこにはあったという事で、
冬はそれが自由になる。
ちょっと覗きに行きたくなりました?
ニセコへはスキーをしに来たけど、スノーシューも楽しみたい、
そんなお客様と丸一日と半日ご一緒してきました。
何でも積極的に楽しまれる方ですが、かといってアクティブという
動きでもなし。となれば、順を追って一つ一つ自然を見ていくという、
しっとりツアーです。
そんな知的好奇心以外に遊び心も満たしたい、という事もあり。
お客様からの「何かやって(笑)」のリクエストにお応えして頭と腕で目玉。
子供の頃に影遊びでよくやっていたんですが、ご存じありません??
会話をしている際、「あなた何歳なの?なんでそんな言葉or事知ってるの?」
なんて言われることが度々あります。
個人的に古いものが好きだからなのか、それとも、じじばばっ子だったせいなのか、
とにかく世代を超えて飛び出す単語がいくつかあるようなのです。
この本の中には、後世に残したい日本語なるものも収録されていて、ページをめくる
ごとに、あ~いいなぁこの日本語、なんて言っているものですから、年相応に感じら
れないかもしれませんね。